第1話 脱走
その昔、魔王は勇者によって討伐されて世界には平和が訪れた。
そして、世界に散らばる魔物たちは徐々に数を減らしていき、今では魔物は人間たちによって狩られて、奴隷として使われていた。
「今日もこれだけ魔物が死んだの……」
「あ? 奴隷の命なんざそんなものだろう。何を気にして」
「彼らにだって命があるんだよ。あのアダイなんか、初めて子供が出来たばかりで」
「だからどうした。魔物の子供なんざいくらでも後で出来るだろう」
ああ、兄とはもう話が通じない。分かっていたことだが「初めての子供との面会さえ許されなかった知り合い」の話と「家畜以下の生き物として生きることも許されない存在」の話をしている人とでは同じものを見ても何もできないでいた。
「ごめん、皆」
俺はそう言って、大量の魔物奴隷の死体を前に謝罪をするのだった。
奴隷産出国として財を成すこの国は、ひいてはその国の中で最も魔物奴隷貿易で影響力のある俺の家は魔物を使役する、調教することにおいてはとても強く、その才能が最も求められていた。
本人たちの力が多少弱くとも、使役できる魔物さえ強ければ問題ない。
何せどんなに強い敵でも、幾らでも使いつぶせる駒によって倒せれば損害無しで倒せるという計算だから。
そんな家に生まれた俺にとっては、それは地獄のような毎日だった。
「嫌だ!」
「痛い! 痛いよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
日々聞こえる魔物たちの声。親や兄弟たちにはただの遠吠えに聞こえるそれも、俺には彼ら彼女たちの慟哭としていつでも聞こえていた。しかし助けられないでいた。自分には親からどうしてか才能解放の儀式、自分の中に眠っている才能を開放する儀式を行う事を禁止されていた。だから自分は弱かった。一族の中で誰よりも。
「ごめん」
今日もそう言いながら、彼らの死体で儲けたお金によって得られたご飯を喉に通すのである。
「起きてください」
「ん、ん?」
「起きてください寧様」
「君は、ブックウォーカー? どうして」
「時間がありません。行きますよ」
そう言われるまま、寝巻の姿で彼女に引っ張られながら俺は親に何度も「行くな」と言われた場所に案内をされる。
「儀式の間」
「さあ、始めますよ」
「え、でも儀式は」
「大丈夫。この儀式を行う事は出来ます」
そう言って、彼女は凄く簡単な詠唱を始める。魔物が人間の言葉を話せるのだって凄い事なのに、それを詠唱という形で行う事の異常さを俺は認識しているのか。
いや、当時の俺は間違いなくしていなかっただろう。
「う、これは……」
どうして儀式を行うと自分の中に眠る才能が解放されるのか。そもそも解放とは何なのか、それを正しく理解していなかったからこそ、理解していた人たちによって俺は儀式を出来ないように邪魔されていた。儀式をすることによって思い出す事になる、とある記憶が彼らにとって邪魔である事を彼らは知っていたから。
「なあ、詩織」
「はい、寧様」
彼女の名前を、俺の前世が名付けた彼女にとっては唯一無二のはずの名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに俺を見つめてくる。
「俺は……魔王の生まれ変わりなのか」
「はい」
「俺には、出来るのか。魔物たちが安心して暮らせる場所を作る事。今はもう封じられて入れなくなったはずの迷宮を利用すれば、苦しむ彼らを救う事が出来るのか」
「出来ますとも」
それを知った俺の行動は早かった。
「案内してくれ、詩織」
「魔物どもが暴動を始めたぞ!」
「何としても鎮圧をしろ!」
「今度は西側だ! 西側に起きたぞ!」
魔物奴隷を輩出する貴族の常和の家は今何時にない異常事態に陥っていた。国の中で一番魔物奴隷を輩出している一族としては大失態の、魔物たちの反乱を許すというそれは間違いなくこの家の家紋に泥を塗り誇りに傷をつけた非常事態である。
「何としても魔物たちを直ぐに抑えろ。せめて直ぐに事件を解決させたことにして王族に悪い報告だけは出来ないようにするんだ」
「お父様」
「ちい! まさか自分達の命さえ惜しまずに反乱する魔物がまだこんなにいたとは」
当代当主の男は脂汗を浮かべながら、必死にこの事態の鎮静化を図っていた。その時である。更なる凶報が彼にもたらされたのは。
「ほ、報告!」
「今度は何だ!」
「き、禁書庫より一体の魔物が脱走!」
「なんだ! そんな事なら奴らにも奴隷紋を」
「そ、それが。他の禁書の魔物たちを見る限り、というより奴隷紋の発動をしようとしても出来ない模様」
「何⁉」
「ほ、報告! 反乱を起こした魔物たちの中に、奴隷紋の無い魔物が混ざっていることが発覚! どれもこれも、近頃長年にわたって外部に奴隷として派遣された記録の無い個体ばかりです!」
「どういうことだ!」
「そ、それが。どれも傷有りや訳ありゆえに奴隷としての価値が低い物ばかりで、奴隷紋の更新が疎かになっていたものかと」
「馬鹿かあ!」
魔物という勇者によって討伐された存在、逆を言えば勇者程度の力が無ければ討伐されるはずなどなかったその存在は人類史において長い間暗黒の時代を作って来た存在である。
だからこそ、彼らを奴隷として使役するには力を抑えるだけでなく精神的にも支配をする奴隷紋の存在が必要不可欠であった。
だから、その事態に気が付いた時には直ぐに当主は頭を切り替えた。
「すぐさま王城に救援要請! 誰でも良いから兵力をよこすように伝えろ! そして何人かは直ぐに迷宮に向かう様に伝えろ! 何としても迷宮に魔物たちを逃がすな!」
「し、しかし」
「良いからやれ!」
「は、はい!」
「お父様、どうして突然王城に」
「お前はまだ知らないから無理も無いかもしれないが」
そう、西側に魔物が多い。それはすなわち、西側にある迷宮に魔物が集まりつつあるという事である。この屋敷から「直線距離で一番近い迷宮」にである。
「しかし、迷宮は今王城の兵士によって警戒されていて、誰も入れないのでは」
「普通の奴隷紋を施された魔物ならそうだろうな」
その言葉の真意。いや、脱走したブックウォーカーの予言を知っている当代主だからこそ、彼は既に最悪のシナリオを歩いていることを察していた。
「魔物どもだ! 魔物どもが来た!」
「何としても守り抜け!」
そんな声はすぐさま忽ちのうちにかき消される。
「これが、俺の力」
「はい、魔物に力を与える。契約した魔物たちを従える最強の力。正直、上位存在にまで引き上げることが出来るのは意外でしたが、途中途中にいる魔物たちを上位存在にできたことでより簡単に突破出来ました」
迷宮の扉の前で、俺はその不思議な石造りの構造物を興味深く眺めていた。
「こんな物から、沢山の魔物が現れたなんて想像できない」
「入りますよ。急がないと追手が来てしまいますし、何よりあなたの身も危ないです」
「でも、まだ他の仲間たちが」
野生で必死に生きる魔物たち、奴隷として頑張っていた魔物たち、助けたい者たちが多くまだ戦っているのに俺だけ先に助かるなんて。
「あなたの優しさは確かに素晴らしいです。ですが、今ここであなたが助からないとまた数百年魔物たちは今以上に苦しい思いをします。もちろん逆に我々が人間を苦しませる道をあなた方人類に強いることになるでしょうが、選んでください」
「選ぶって」
「あなたは、魔王と人間。どちらを選びますか」
そう言われて、俺は悩んだ末に。
「分かった」
扉を開いた。
「今から五分です。五分の間に入ったものだけは助かります。良いですね」
そんな声が聞こえてから五分後、きっかりに扉は閉められた。
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